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三浦春馬さんはやっぱりお母さんのこと大好きだったと思う。その理由

こんにちは。

今回は、「三浦春馬さんはやっぱりお母さんのこと大好きだったと思う。その理由」というテーマについてです。

 

私は今では、テレビも雑誌もまったく観ていないのですが、先日ヤフーニュースに『三浦春馬さんの「遺産と遺骨」手にする実母、“死人に口なし”でしゃべり倒す違和感』という見出しの記事が掲載されており、なんども酷いタイトルに引き寄せられて記事を読んでみました。

するとそこには、違和感だらけの内容が書かれていました。

親子の確執だとか色々噂されていますが、私は春馬さんはお母さまのことがずっと大好きだったんだと思います。

今回は、記事に対しての違和感や、なぜ春馬さんはお母さまのことが大好きだったと思うのかについてお伝えします。

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ヤフーニュースの記事に書かれていた内容と違和感

私が見たヤフーニュースには、2月18日に発売された「週刊新潮」の特集記事の内容について書かれていました。

その内容に私は違和感をいくつも覚えました。

実際に違和感を感じた部分をお伝えします。

2月18日発売の『週刊新潮』2月25日号で5ページにわたって組まれた特集記事で、冒頭から《言いたいことはたくさんあるの》と告白を始めたのは三浦春馬さんの実母・A子さんだ。

三浦春馬さんが亡くなったとされたあと、各種週刊誌はお母さまのことを「毒親」「金を無心していた」「春馬さんが俳優を辞めたいと言っても辞めさせなかった」など、傷心のお母さまに対してかなり酷い内容の記事をいくつも掲載していました。

週刊誌に酷いことが書かれているということは、人づてだったとしてもお母さまの耳には入っていたと思います。

それなのに、身内でもない、ましてやそんな記事を書いた週刊誌の記者に「言いたいことはたくさんあるの」などと、自分から話すでしょうか。

もしも私がお母さまの立場なら、疑心暗鬼になっているでしょうから、取材に来られても門前払いをすると思います。

まったくもって信用できませんし、顔も見たくないと思うでしょうから。

《春馬が亡くなった一番の原因は、私がそばについていられなかったこと。そこがもう、凄く後悔しています。たとえ何があったって、私が命をかけて守れなかったことは確か。そこはすごく悔しい。(中略)春馬は私がいなきゃ生きていけない。私も春馬がいないと生きていけない。そういう関係だったの

こういったインタビュー取材というのは、相手が話したことをテープレコーダーに録音して、その後記事に一字一句書き起こすのですかね?

だとしたら、打ち解けていない相手(たぶん初対面)に、大の大人がこんな口調で話すかな?と単純に思ってしまいました。

春馬さんはとっても言葉遣いがきれいで丁寧な方でした。

それはきっと、お母さまの影響もあるのかなって思うんです。

実際に春馬さんは「(言葉遣いが丁寧なのは)自分の周りにいた大人がきれいな言葉を使っていたからだと思います」とおっしゃっていましたから、お母さまもきっと言葉遣いがきれいだったと思いますし、TPOをきちんと使い分けられる方だと思うのです。

ですから、初対面の相手に話す「タメ口」に違和感を覚えました。

《私や再婚相手の男性、そして所属事務所のアミューズとの関係で揉めていたし、いろいろな悪いことが春馬の精神や体に重なっていった。タイミングが悪かったんだと思う》

これは2015年頃のことのようですが、春馬さんの精神や体が悪いほうに悪いほうに誘導しているような文面に思えてしまいます。

2015年のあの頃、果たして春馬さんの心身状態は実際にどうだったのでしょう。

例えば、心身状態が悪い人が「進撃の巨人(2015年)」でハードなワイヤーアクションに挑んだり、「キンキーブーツ(2016年)」でドラァグクイーンを熱演したり、「わたしを離さないで(2016年)」の撮影現場でお手製のお汁粉を振る舞ったりするでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

私には分かりません。

私が心身を悪くしていたとしたら、他人のことを考える余裕はありませんし、ハードな仕事をする気にもなれないからです。

まあ、春馬さんは人格者ですから、私とは人間の格が違いますがね。

実母によれば、春馬さんの心身は2014年のドラマ「僕のいた時間」の役作りで行った急激な減量をきっかけに悪化していったという。

たしかに春馬さんは、「僕のいた時間」の役作りで7kgの減量を行ったと言います(ご本人が言うには10kg以上とも)。

もともと細身だったのに短期間で10kg以上も減量だなんて、かなりハードな方法を行ったに違いありません。

しかし春馬さんは、誰かに無理やりその役を押し付けられたのではなく、

「ラストシンデレラに出演している時に、次にどういう役にチャレンジしたらいいか考えていて。その時に命を題材にして、そこで生まれる家族との絆や友人との関りなど、日ごろは深く考えないことを改めて考え直すような、今まで演じたことのない心情や表現力などに挑戦したいと思ったんです。それをマネージャーやプロデューサーに話したところから始まり、実現に至りました。(2014年1月 Cinema Cafe net記事)」

とインタビューで答えていますし、「本当にやりたいと思っていた大きなテーマ」だったとハッキリとおっしゃっています。

ですから、自分から働きかけて実現した仕事なのに、ハードな減量がきっかけで心身が悪化するのかな?と思いました。

ただ、ほかのインタビューではこのようにもおっしゃっていました。

2018年8月 Nemero tokyo記事

──ちなみに、今までで一番苦しかった作品はなんですか。

「ドラマ『僕のいた時間』です。あの時に栄誉あるギャラクシー賞をいただけて。マネージメントや自分、そして友人たち、みんなが一緒になって苦しい思いをしてくれたんです。それが総じて、結果として賞をいただけたのだと思うし、それは自分の自負として持ってあげるべきだなと」

──その苦しみは、役作りが大半を占めるものですか。

「そうですね。体重も10キロ以上落としたりとか、筋肉の伝達機能がなくなっていく役どころで、運動したら筋肉が目立ってしまうから、痩せるにも運動ができない。食事制限をしようにも、やっぱり人間は動かないと、どんどん気持ちが落ちていく――。
今まで経験したことがなかったので、疲弊してしまった自分がいて。でも芝居と向き合わなきゃいけない。
その一方で、主演となると現場にも配慮し、引っ張っていく立場でもある。そのバランスが取れなくて――。そういう過去の反省点を改善しつつ最近は、自分なりのペースをつかめてきたかなと

上記の春馬さんの言葉を見る限りでは、「僕のいた時間」での役作り及び座長としての責任感は、相当な重圧であったと思われます。

ですから、この時期はたしかに心身が不安定になっていたのかもしれませんね。

しかし、それがきっかけでいつまでも不調を引きずっていたかと言ったら、そうではなかったんじゃないかなと思いました。

春馬さんを取り巻いていた環境やボロボロに蝕まれていった心身についてを、まるで息子が我が身に“降りてきた”かのように代弁し、しゃべり倒すA子さん。そして彼が亡くなった原因にも言及したのだった。

う~ん、、、

なんて言ったらいいんでしょう。

「まるで息子が我が身に降りてきたかのように代弁」「しゃべり倒す」

これらの文面を見る限り、お母さまは記者に対してめちゃくちゃ熱く喋ったようですね。

そうなのかな。

「この人には話したい!」と思えるような記者だったってことですね、きっと。

しかしながら、仮にお母さまが本当にたくさん喋ったんだとしても、「しゃべり倒す」という言葉は失礼、不適切だなと感じました。

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音信不通ではなかった!?

週刊新潮の記事によりますと、春馬さんとお母さまが音信不通状態になったのは「5年ほど前からなの(←またタメ口)」とありましたので、2015年~2016年頃だと思われます。

実際に、春馬さんが戸籍を抜いたのは2017年頃だと言われていますから、この頃一体何があったのでしょうか。

しかしファンの間では、「音信不通ではなかったのではないか」とも言われています。

それは、2017年に日本製の取材で広島を訪問した後、『家族と取材時の時間について話した』という内容のお手紙があったり、

 

 

 

 

 

2017年に杉村春子賞を受賞したときには、「とんでもなくうれしい。母に報告したら泣かれてしまった」とあったり、

 

 

 

 

 

だから「5年ほど前から音信不通」は違う気がします。

本当にお母さまがおっしゃっていたのでしょうか。

 

春馬さんはやっぱりお母さんが大好きだったと思う

もしも、100歩譲って春馬さんとお母さまが本当に絶縁状態だったんだとしても、やっぱり春馬さんはお母さまのこと大好きだったんじゃないかなと思います。

 

母の味を思い出して涙ぐむ春馬さん。

もしも、本当に憎くて絶縁・音信不通にしていたなら、カメラが回っている場所で涙ぐむなどありえないと思います。

せかほしの春馬さんは、素の春馬さんです。

ですから、この涙は演技ではなく本物なんじゃないかなと感じました。

 

また、2019年12月に出演したFNS歌謡祭では郷ひろみさんとデュエットをされたのですが、それに対して春馬さんは以下のようにツイートされました。

 

 

 

 

 

 

「両親が好きだった歌」「感無量」、もしもお母さまのことが大嫌いだったら、このようなツイートはしないと思います。

いずれも昔の話ではなく、2018年以降のことです。

きっと春馬さんは、ずっとずっとお母さまのことを思っていたんだと思います。

 

妙に引っかかることがある

以上のことから、「春馬さんとお母さまは音信不通ではなかったのではないか」「春馬さんはお母さまのことがずっと大好きだったんじゃないか」と感じたのですが、でもなんだか妙にモヤモヤするのです。

せかほしのあの春馬さんの涙を見て、「じゃあ、なんで泣いちゃうの?いつでも食べに帰ればいいじゃん」とはじめは思ったのですが、もしかしたら「食べに帰れない=会えない」のではないかなと思ってしまいました。

お母さまは週刊新潮の記事の中で「春馬を囲い込むように"周りの大人たち"は私と連絡を取らせないようにした」とあったのですが、それに対して一部の人は『春馬さんはいい大人だったんだから、たとえ周りに止められていても連絡くらいできただろう』とネット上で言っていました。

たしかにそう思います。

しかし、例えばこんなことを“周りの大人たち”に言われたら、私だったら母親と音信不通の手段を選びます。

「連絡を取ったら母親に危害を加えるぞ」「母親がどうなってもいいんだな」

なぜなら、私は母のことが大事ですし危害を加えられたくないからです。大切な存在だからこそ、母を守るために音信不通の選択をします。

春馬さんが戸籍を抜いたのが2017年、事務所所有の監視カメラ付きマンションに引っ越したのが2018年。

お母さまと連絡を取っていたであろう証拠(手紙、受賞の報告)は、2017年2月と3月頃まではあります。

春馬さんに何があったのかは分かりませんが、せかほしでのあの涙の真意が知りたいです。

⇒戸籍を抜いたらどうなる?三浦春馬さんは戸籍を抜く必要があったのか

驚愕の解析コメント

風子様から、驚愕の解析コメントをいただきましたので記させていただきます。

★春馬さん6月9日イリュージョニストインスタ4名の名前の【さん】を意図的にずらしています。
平仮名にして【さん】のように頭から一文字ずつずらすと【はは】が縦に並びます。
違和感あるズラシ【さん=3】3文字を拾い、かくり、いほう、うはは、まなき。

【 馬母、違法隔離 馬泣き 】
【母が一番好き。母恋う切なく】 1月25日インスタ左端【はは】で上下と横読み。

週刊誌が何を書こうと、これが真実だと思います。
会えなかった状況を考えると本当に可哀想で可哀想で。御母さんは本当に御無事でしょうか?

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おわりに

週刊誌は言っていることがバラバラですのでよく分かりません。

しかしやっぱり私は、春馬さんはお母さまのことが絶対に大好きだったと思います。

そして、あのような素晴らしい方を育て上げたお母さまは、きっと同じく素晴らしい方なんだろうなと思います。

何かの記事で、「(母に)連絡を返さなかったら泣かれた」とありましたから、きっと春馬さんが涙もろいのはお母さま譲りなんでしょうね!

私にも息子がいますが、連絡の返事がないだけで泣くことはまずありませんから、きっと女性らしい優しいお母さまなんでしょう。

ここ数年は、母の手料理も食べていなかったのかな。

たくさん手料理を頬張って「おいしいよ!」って笑える、そんなことさえもできていなかったんだとしたら、本当に切ないです。

春馬さんに関しては、なんでどうして!!ってことが多すぎます。

まあ、私の勝手な想像ですがね。

では、今回はこのへんで。

⇒三浦春馬氏はなぜ2018年から過密スケジュールに?豊島にヒントか

⇒Act Against AIDSについて。寄付の見える化と疑問点は?

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