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三浦春馬さんが安置されていた貸会議室とは?どこの建物内だったのか

こんにちは。

今回は、「三浦春馬さんが安置されていた貸会議室とは?どこの建物内だったのか」というテーマについてです。

 

2020年7月18日に急死された俳優の三浦春馬さんに関する情報が、これでもかというくらい二転三転していたり濁されており、いまだ私たちは混乱のなかにいます。

不審な点は数えきれないくらいあるのですが、そのなかの1つに「貸会議室のような一室に安置」というワードがあります。

はじめてこれを見聞きしたときは、自分の目を疑って二度見したほど驚いてしまいました。

大スターだった三浦春馬さんが、貸会議室のような一室に安置されるとは、、

いくら一時的だったとはいえ、それにしてもあまりの粗末な扱いに、絶句と疑問を感じてしまいました。

そして、三浦春馬さんの密葬に関しては本当に色々な情報が飛び交っており、どれが本当なのか分からない状況となっているのが現状だといえます。

そこで今回は、三浦春馬さんの密葬に関しての疑問や、「貸会議室」とはどの建物の貸会議室だったのか、情報を整理して調べてみました。

三浦春馬さんが安置されていた貸会議室とはどこの建物内だったのか?

文春の記事によりますと、三浦春馬さんのご遺体は「恵比寿の貸会議室のような一室」に安置されていたとありました。

その後、密葬が「恵比寿の泉明寺(せんみょうじ)で執り行われた」「泉明寺の貸会議室に安置されていた」などと言われているのですが、それは確固たる情報なのでしょうか。

今まで出た記事や事務所から発表された文面を見直してみても、そのようなことは載っていませんでしたので、どなたかのリーク情報なのですかね。

しかし、以下のような気になるツイッターがありましたよ。

「泉明寺の貸会議室で実際に密葬があったか直接問い合わせたところ、『まったく関りがない。誤報なので伝えてください』という返答だった」とありますから、この方が言っていることは信ぴょう性が高そうですね。

このことが事実であるならば、泉明寺の貸会議室には安置されておらず(そもそもお寺に貸会議室があるのか?仮にあったとしても、なぜあえて貸会議室などという無機質な場所に運ぶ?)、ほかの建物の貸会議室に安置されていたということになります。

では、その建物とは一体どこなのでしょうか?

調べていると、再び気になるツイッターを見つけました(現在は削除されています)。

事務所が以前まであった恵比寿のビル(T&Tビル)の1階には「東都典範」という葬儀屋があり、3階にも「家族葬」という葬儀屋があるようです。

今年2月の時点では、まだビルテナント欄5~9Fに事務所が入っていました。

1Fにある葬儀屋「東都典範」は、大規模なご葬儀から火葬式、無宗教葬やお別れ会まで、様々な形式の要望に応えてくれるようです。

また、東都典範には「きれいな霊安室が完備」されており、現在は5基の霊安室専用の棺が用意してあるそうです。

お線香を上げることも可能で、葬儀当日までしっかりと預かってくださるとあります。

しっかりとした葬儀屋さんだという印象を受けました。

では、もし仮に三浦春馬さんのご遺体が、「恵比寿にある事務所が以前本社を構えていたビル内の葬儀屋」に運ばれたとしたら、なぜ『霊安室』ではなく『貸会議室のような一室」などという言葉が出てくるのでしょうか?

記事にもはっきりと『霊安室』と書けばいいはずです。

考えられることとしては、「葬儀屋の霊安室」に運んだのではなく、「5~9Fいずれかの以前使用していた事務所の一室」に運んだのではないかと。

そう考えると、「貸会議室のような一室」というのも分かる気がしますよね。

ちなみにT&Tビルのエレベーターについても調べてみました。

エレベーターは2基あり、いずれも11人乗りです。

一般的な11人乗りのエレベーターは、奥行き1350×幅1400ですので、棺は入らない大きさだということが分かります。

エレベーターに棺が入らない場合は、棺と遺体を別々に搬送したり、外階段がある場合にはそれを利用して搬送することもあるようです。

また、エレベーターによっては奥の壁に小さな扉がついていて、ストレッチャーなどが入るスペースがあるタイプもあるとのことです。

もしも、「5~9Fいずれかの以前使用していた事務所の一室」に運んだのだとすれば、奥行きが取れるエレベーターでなかった場合は、相当大変だったでしょう。

霊安室がある葬儀屋さんは1Fにありますよ。

なぜそうまでして、「貸会議室のような一室」に運ぶ必要があったのでしょうか?

一応これも調べてみたのですが、三田警察署からT&Tビルまでは車で15~17分。

泉明寺からT&Tビルまでは車で5~6分。

いずれも近いですね。

結局のところ三浦春馬さんの密葬はいつどこで執り行われたのか?

散々「恵比寿、恵比寿」と言っていますが、結局のところ三浦春馬さんの密葬はいつどこで執り行われたのでしょうか。

まず、春馬さんが所属していた事務所が7月20日に出した『三浦春馬に関するお知らせ』よりますと、

「葬儀につきましては、ご親族の方とも相談の上、すでに密葬というかたちで執り行わせていただきました。」

とあります。

文書は7月20日に出されたものでしたので、私はてっきり密葬は20日に行ったものと思い込んでいたのですが、改めて読んでみますと、密葬の具体的な日にちや場所はどこにも記されてありませんでした。

のち四十九日に出された文書も同じでした。

ということは、私(たち)が思い込んでいただけで、実際密葬はもっと早くに執り行われた可能性もゼロではないということになります。

それにしても、なぜ具体的な日にちを教えてくれないのでしょう。ほかの芸能人の方々は後日詳しく報告がなされているのに。

また、密葬の日にちもさることながら、場所も都内であったり茨城県土浦市であったりと情報がバラバラなのです。

上記のツイッター内容を見る限りでは、ご遺体は19日には土浦方面に向かっており、葬儀も茨城で執り行ったかんじですよね(現在は削除されています)。

しかし、スポーツ報知の記事には

「三浦春馬さん(享年30)の葬儀・告別式が20日、都内で営まれ、親族と所属事務所・アミューズの関係者が参列した。事務所によると、亡くなったのは18日午後2時10分。葬儀は親族と相談の上、密葬で執り行った。三浦さんはこの日午後、荼毘(だび)に付された。親族と相談の上、密葬で執り行われ、親族と事務所関係者が最後の別れを告げた。所属アーティストの参列はなかった

とあります。

 

ということは、19日にお通夜を土浦で行い、翌20日に都内で葬儀を行ったのでしょうか。

いやいや、そんな行ったり来たりなことは通常考えられません。

しかも文春の記事によりますと、俳優の佐藤健さんは7月19日に「恵比寿にある貸会議室のような一室」に駆け付け、棺に眠る三浦春馬さんとご対面したとあるのです。

もうこの時点で食い違っていますよね。

土浦に向かっていたご遺体に、どうやって恵比寿で対面するのでしょうか。

ここまで食い違いがありますと、もはや三浦春馬さんのご遺体はその時点でどうなっていたのかさえも疑問に思えてきます。

本当のところはどうだったのでしょうか。

おわりに

竹内結子さんは2日間家族が付き添った後、死去3日目に家族葬にて葬儀が執り行われたといいます。

なぜ三浦春馬さんは何もかもが普通ではないのか?

家族の気配がまったくしないのはなぜ?戸籍を抜いているから?疎遠だったから?

もしも三浦春馬さんに家族が大勢いたり、またはご結婚していて家庭を築いていたなら、何かが違っていたのでしょうか。

本当に、どこを切り取って見てみても不憫としか言いようがありません。

なぜ素晴らしい功績を残したスターが、追悼番組もなされず詳しい報道や映像もまったくないのか。

それどころか、貸会議室に安置などという情報まで出てくるなんて、、、

 

 

謎が謎を呼び、もう何が何だか分からない状態です。

ここまで何も分からないと、まさか三浦春馬さんは生きている!?

とさえ思ってしまいます。

真実は1つのはずなんですが、、、

おかしな世の中になってしまったものです。

ちなみに泉明寺には、一般墓のほかに、永代供養施設や納骨施設もあるようですので、せめて三浦春馬さんのお骨だけは粗末な扱いを受けていないよう祈るばかりです。

<追記>

のちの週刊記事で、三浦春馬さんの遺骨は「行方不明」状態だというショッキングな内容を目にしてしまいました。

そんなバカげた話がありますか、、

三浦春馬さん、、、そもそも本当に火葬はされたのですか??

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投稿者プロフィール

ベビーカステラ
元看護師です。
現在は在宅ワークにて、過酷な看護師生活に終止符を打ちました。
世の中のなぜなに?や、ホットな耳より情報をお届けしています。

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