こんにちは。
今回は、「三浦春馬さんの人柄や真面目さが分かるインタビュー記事を集めてみた」というテーマについてです。
三浦春馬さんは、容姿の美しさもさることながら内面も美しく、また非常に真面目でもあったといわれています。
その人柄は、お若いときからずっとそうだったのでしょうか?
よくいますよね、若いころはヤンチャだったけれども、年を重ねるにつれて落ち着いてきたという方。
三浦春馬さんの場合はどうだったのでしょうか?
そこで今回は、過去の記事を集め三浦春馬さんの人柄や真面目さについて見てみました。
もくじ
三浦春馬さんの人柄や真面目さが分かるインタビュー記事
ではさっそく見ていきたいと思います。
インタビュー記事の量が多すぎましたので、私が気になった内容の記事のみ載せました。ご了承ください。
2009年 サムライハイスクールの頃
変顔をしたりするのでそのリサーチをしたり、鏡の前で一人で練習したり・・・放送できるギリギリを目指していこうかと(笑)。
逆に、サムライ小太郎の時は「かっこよくしたい」と監督から言われているので、例えば姿勢を正して胸をはって堂々と歩くとか、人と話す時にしっかり目を見るとか、所作の一つ一つに気を配っています。
それから、脱いだときにやっぱりかっこよく肉がついていた方がいいかなと思って、気付いた時に腕立てとかもしています。
2012年 関西ウォーカー記事「怪海セブンについて」
Q:初めて舞台に立って、どうでした?
「メチャクチャ緊張しました。毎日ずっと緊張していて、毎日お腹を壊していたんです。公演後にご飯会があっても、物を食べると胃が痛くて食べられないことが大半でした」
Q:そんなに辛かったのに、またやりたい?
「はい。その辛さはもう忘れてるんですよ(笑)。実は自分から、もう一回出たいと言ったんですよ。すごくおもしろかった。
舞台の上から、お客さんの笑顔や感動している表情が見える。何かしらのアクションに反応してくれるっていう、そのやりとりがすごく気持ちよかったんです。Q:大阪に来たら必ずすることは?
「“タコヤキ”は絶対食べます。前回は、“くくる”と“甲賀流”でした。“タコヤキ”好きです。ソースもおいしいけど、ダシ付きタコヤキ。あれ、ヤバイです。あんなにおいしいのは東京にはないですよ。安くておいしい。食べた~い!(笑)」
2013年11月 ダイレクトメッセージ記事
「プロになってやっていこう、と思ったのは自分が成長してから、高校入学のときかな。僕は地元が茨城なんですが、高校から寮のある東京の学校に入りました。」
「母親には反対されました。僕は一人っ子ですし『行かないで、茨城からでも東京は通えるじゃない、今までもそうしてきたじゃない』という気持ちが母親にはあったのです。でも僕はそれまで電車で通っていて、学業と仕事を両立するのは無理だと思ったんです。
親元を離れるという選択をしたことは、その時期僕にはこれしかない、と思ったから。一人で頑張っていきたいと思った。
そう決めて堀越に入学しました。」
「僕の同級生は今みんな就職をしていて、時々「春馬、俺つらいんだよ。正直俺やめたい!」と相談されることもあります。
ああ、やっぱりみんなそうなんだなと思いました。そんなときに僕は言います。「でもね、それ越えなきゃだめなんだよ」と。
僕の場合、壁のようなものを越えてから、見えてくるものが明らかに違いました。やりたいことがあるのだったらなおさら、壁のようなものを一度越えるということを経験しないと次に進めない。それを僕は身をもって知りました。」
2013年インタビュー記事
「10代の頃は、精神的に脆かったと思います。当時のマネージャーにも、『強くないよね?』って言われて、素直に『そうなんです』って答えてました(苦笑)。
仕事に対するモチベーションも、上がったり下がったりが激しくて、周りの大人たちをずいぶん心配させてしまったんじゃないかな」
「どうやって強くなったか? それは、自分に何度も負けた結果だと思います。ダメな自分を知って、そこから這い上がっていくことで、仕事に対するモチベーション、熱意や精神力、我慢する心が生まれた。浮き沈みがあって、今の自分があるんだと思う」
「『ファンです!』って言われるのは素直に嬉しい。でも、そういう人が増えていることを実感するたび、もっと新しいことをして行かなきゃダメだよな、って強く思います」
「舞台をやっているとき、とくにカーテンコールでお客さんの顔を見たときは、『これは何にも替え難い時間だな』って毎回胸が熱くなります。あのときが、一番生きている実感を感じられているのかもしれない」
「わっかんないんだよね、女性のこと……って。男の人の話でよければ、色気があるなって思うのは古田新太さん。
あのちょっと崩れた感じは、大人の男じゃないと出せないなって」
ーーそれから5年後の2019年1月23日に、WOWOWドラマ『ダイイング・アイ』の取材で、恵比寿のスタジオで春馬さんに会った。
『僕のいた時間』の取材から5年ぶりだったが、相変わらず擦れたところがなく、質問を向けられるたびに真剣に自分の心を探りながら、怖いくらいに真っ直ぐな瞳でその場に対峙し、言葉を紡いでいた。(記者より)
2015年 Omosan Street記事
仕事への姿勢はもちろん、考察力が彼の一言、一言から伝わってくる。そして仕事の現場では、とにかくより礼儀正しくありたいと三浦春馬は言う。
「現場では特に挨拶から一日が始まります。
“お疲れ様”と言うことや、感謝するなどの基本を忘れずに、頑張っていけたら良いなと思います。」
ーー最後に彼は笑顔で「目の前の作品に精一杯向き合っていくだけだと思います。頑張ります!」と語ってインタビューを締めくくった。
三浦春馬の美学、三浦春馬の芝居は、この先も観る人を惹きつけ続けるのだろう。(記者より)
2018年 銀魂2の頃
「自分では、僕自身に鴨太郎の要素はまったくないと思っています。僕の気を遣ってしまう部分を、監督は“繊細”だと受け取ってくださっているのなら、そこは合っているかもしれないけど、僕はクールでもないし、知的でもないですからね(笑)。」
その子役出身だからこそ体に染みついたものとは?
「目上の人や年上の人には敬語を使いなさいとか、先輩には失礼のないようにしなさい、とかですかね。ときどき先輩の俳優さんから「何でそんなに硬いの?」とか、「そういうところが、お前はダメなんだよ」と言われることもあります。
でも、仕方ないじゃないですか。それは幼少期から培われてきたものだし、否定されても困るなと(笑)。
だから、最近は「これが僕なので、否定しないでほしい」と言うようにしています。それが嫌いなら、嫌いでいいし、ということで。」
最近、Instagramを始められましたが、何かきっかけがあったのでしょうか?
「いままではSNSを毛嫌いしていた部分があったんです。でも、携わった作品や、自分がいいなと思ったものを広めていくのは大事なことだなと思い始めて。
というのも、作品は自分だけのものではないし、(それを広めるのは)同じチームの一員としての役目でもあるんじゃないかと思ったんですよね。あとは自分と仕事をしたいと思ってくれる人の獲得もありますね。」
2019年 TWO WEEKSの頃
「自分で言うのも何ですが、僕はちょっと人に優しすぎるところがあって(笑)。相手に遠慮して思ったことを言えないんです。」
2019年 アイネクライネナハトムジークの頃
「焦らずに時間をかけて話を聞いたり、「この人はたぶんこういうことを言いたいんだろうな」ということを想像するように、いつも心がけています。
そうすることによって、面白いつながりや、新しい出会いに発展することもあると思うんです。」
「僕はわりと人の話を最後まで聞くタイプだと思っていて、話の腰を折ったりしないし、割と穏やかな方だと思っているので、今回は共感しながら演じることができました。」
2019年 wotopi記事
——俳優という職業は、アーティストである一方で、人気商売でもありますよね。周囲の空気を読んだりしますか?
「協調性は欠かさずに、あまり棘がないように、スムーズに現場をまとめるには技術が要ると思います。
柔らかさを持つ一方、締めるところは締めるということは、逃げずにやってはいきたいですね。」
Q.「この人といい関係を築きたい」と思ったとき、自分から積極的に動けるほうですか?
「うん、動けるほうだと思いますよ。相手が男性でも女性でも自分からアクションできる。「この人と親しくなりたい」と思うことも、たぶん多いほうです。
そのおかげか、人生で負けたことも悔しい思いをしてきたこともあったけど、寄り添ってくれる人や気にかけてくれる人がちゃんといたとも思います。」
Q.とはいえ、はたから見ているともう、外見から中身まで完璧な人だなっていう印象です。三浦さん自身は「自分のここがダメだな」とか思う部分、あるんでしょうか?
「いやー、ありますよ!(笑)たとえば……その場にいる人や空気に順応しきれないときがある、とか。
“自分を持っている”と言えばいいかもしれないけど「あれ、俺って協調性ないのかな」とか「もっと器が大きければいいのに」って思ったりしたこともありました。
でも最近は、「それも含めて自分だから仕方ない」って考えられるようになってきましたね。
いきなり変われと言われても、変われないし。だけど、そうやって感じたり考えたりする経験ができたのは、よかったなって思いますね。だから、いまはすっごい楽です。」
Q.三浦さんでも、そうやって悩んだりするんですね。でも、最後は前向き。
「悩みますよ~。そんなことばっかり考えてたら「あれ、これから恋愛ってできるのかな?」とか思ったりして(笑)。
恋愛に限らず、これからまた新しく、本当に心を許せる友人とか自分らしくいられる人間関係ができるのか、不安になったりもしました。
仕事で爆発的な成功をしないと、もうマジな友だちはできないかもしれない……みたいな。」
Q.三浦さんの人柄なら絶対できると思いますが、20~30代がよく感じると聞く「大人になると本当の友だちができない問題」ですね。
「その問題あると思う、本当できないよね(笑)。でも、だからこそ「こいつの頼みならなんでも聞いてやる」「お前のこと好きだから、なにかあったら絶対に助ける」って思えたら、そういう人のことを大事にしていきたいですね。」
——グループでいると、まとめ役になるタイプですか?
三浦:僕は自由奔放にやるタイプなので、あくまで「仕事に関しては」ということです。でも最近は、もちろん折れることも大切なんですけど、納得するまで引けなくなりました。芝居に関してだけなんですけど、納得しないまま「こっちの方向性で」と言われても、「前に話していたことと違いますよね」となるから、「おっしゃる方向に近づけはしますけど、すごく気持ちが悪いです」と主張します。
2019年 アイネクライネナハトムジークの頃
「劇的な出会いというか、妄想してしまうようなところは共感できるかもしれないです。「こういうシチュエーションがあったらいいな」とか「こうしたらうまくいくんだろうな」とかは、思ったりしますね。自分よがりなんですけど、もともと一人っ子なので、妄想して遊ぶことに長けているんだと思います(笑)。
――最近考えたシチュエーション、何かありますか?
三浦 言えませんよ……! おかしな人だと思われそうなので、やめておきます(笑)。
三浦春馬さんは若いころから自分に正直で真面目だった
過去のインタビュー記事をたくさん読んでみて感じたことは、三浦春馬さんはお若いころから真面目で自分に正直で、常に真っ直ぐな方だったんだなということです。
もちろん、10代の中学高校の時分には少しだけ尖っていたり、友達と少々悪ふざけをやった経験だってあると思います。
私もけっこうだった記憶がありますし。それは誰でも通る道というか、おかしなことではないと思いますよ。
しかしながら春馬さんは、その頃にはもう俳優の道を目指しており周りの目もありましたから、私たち一般人よりは大きな「ヤンチャ」はしなかったかもしれないですね。勝手な想像ですが。
お母さまは、東京に行くことを反対されていたんですね。
大事な可愛い一人息子と離れて暮らすのは、それはそれは寂しかったことでしょう。
最終的には春馬さんの意思を尊重して東京に送り出したようですが、こういったインタビュー記事を読んでいますと、親子関係は良好だったように思えます。情報によると、お互いを名前で呼んでいたようですし、反抗期もなかったそうですから。
何度も言っておりますが、私は週刊誌は信用しておりません。
そして春馬さん、緊張するとお腹に来るタイプだったんですね。
もう今は大丈夫なんでしょうか。
私もすぐ胃腸に来るので、ものすごくよく分かります。
それでも逃げることなく、むしろ自分から立ち向かっていくという、とても強い心の持ち主だったんだなと感じましたね。
おわりに
春馬さんはお若いころから変わらず、真面目で一生懸命な性格だったようですね。
そしてやはり、優しくて温厚な人柄だったということが分かりました。
どうしたらあのような人に育つのでしょうか。
持って生まれた天性でもあるでしょうが、お母さまの育て方も良かったのではないかと思いましたよ。
また小さいころは、家に犬や猫などの動物がたくさんいたと言っておられましたから、お世話することで優しさを育まれたのかもしれませんね。
いずれにしても三浦春馬さんは、心優しい性格で素直で真面目、常に一生懸命な方だったということが再認識できました!
本当に本当に、惜しい人がいなくなってしまいました。
日本の芸能界、いや世界の演劇界は、大きな損失を被りましたね。
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