「長嶋茂雄 伝説」と聞いて、どんな場面が思い浮かびますか?
プロ野球ファンなら一度は見聞きしたことがある“ミスター”の名場面。
その一つひとつが、日本中をわかせ、感動の渦に包みました。
2025年6月3日、そんな国民的スターが肺炎のため89歳で亡くなりました。
突然の訃報に、ネット上には惜しむ声とともに「長嶋茂雄の伝説をもう一度振り返りたい」という声も広がっています。
本記事では、「長嶋茂雄 伝説の名場面5選」と題し、天覧試合や不滅の名言、引退の瞬間など、語り継がれる出来事をわかりやすく紹介します。
なぜ彼が“伝説”と呼ばれたのか。
その魅力とともに、最期の姿まで丁寧にお届けします。
もくじ
長嶋茂雄 死去の理由と最後の姿
肺炎による入院と逝去の詳細
長嶋茂雄さんは、2025年6月3日午前6時39分に肺炎のため、東京都内の病院で亡くなりました。89歳でした。
脳梗塞を患った2004年以降は、2022年9月に軽度の脳出血で入院するも、2023年3月には巨人の開幕戦を観戦する様子が見られました。
最後の公の姿は、2025年3月に行われたドジャースとのプレシーズン試合での姿。
大谷翔平選手らを激励する姿に、多くの人が元気をもらったばかりでした。
葬儀は近親者のみで実施
葬儀と告別式は、長嶋家の意向により近親者のみで執り行われることが発表されました。
喪主は次女・三奈さん。
香典、供花、弔問なども辞退されており、後日「お別れの会」が開かれる予定です。
ファンや球界の悲しみの声
SNSやニュースのコメント欄では、
- 「ミスターの言葉に救われた」
- 「長嶋さんのおかげで野球が好きになった」
- 「天覧試合は今も忘れられない」
といった声が相次いでいます。
まさに日本中が喪失感に包まれている状況です。
長嶋茂雄 伝説のデビュー戦とは?
金田正一から4打席連続三振
1958年、立教大学から鳴り物入りで巨人入りした長嶋茂雄さん。
デビュー戦の相手は当時の大投手・金田正一さんでした。
結果はまさかの4打席連続三振。
普通であれば「大丈夫か」と不安視される展開でした。
それでも1年目で2冠王を達成
しかし長嶋さんは、その後の試合で持ち前の打撃センスを発揮。
打率.305、本塁打29本、打点92の成績を残し、本塁打王と打点王の2冠王を獲得しました。
新人王にふさわしい大活躍
この年、当然のように新人王にも選ばれました。
たった1年で「スター誕生」と言われ、球場に詰めかけるファンの数も急増しました。
伝説の始まりは、まさにこの1958年でした。
長嶋茂雄 天覧試合の劇的本塁打
1959年6月25日 阪神戦の奇跡
1959年6月25日、後楽園球場で行われた阪神戦。
昭和天皇が観戦されたことで「天覧試合」として語り継がれるこの一戦で、長嶋さんは圧倒的な存在感を見せました。
同点&サヨナラホームランの衝撃
この日、長嶋さんは試合終盤に同点本塁打、そしてトドメにサヨナラ本塁打を放ちました。
これには昭和天皇も驚いたとされ、「国民的ヒーロー」という呼び名が定着した瞬間でもあります。
天皇陛下の前で国民的ヒーローに
テレビや新聞でもその雄姿が広く報じられ、子どもからお年寄りまで長嶋さんの名前を知るようになりました。
「長嶋=ヒーロー」というイメージが、この一試合で決定づけられたのです。
長嶋茂雄 引退セレモニーの名言
「巨人軍は永久に不滅です」の意味
1974年10月14日、後楽園球場での引退セレモニー。
長嶋さんは「我が巨人軍は永久に不滅です」と語り、多くの人の心を打ちました。
この言葉は、今でもプロ野球界で語り継がれています。
涙の引退が日本中を感動させた
このセレモニーでは、スタンドのあちこちで涙を流すファンの姿が見られました。
- 17年間で13度のリーグ優勝
- 10度の日本一
という実績を引っさげた長嶋さんの引退は、日本中に大きな喪失感をもたらしました。
今も語り継がれる一言
「不滅」という言葉通り、長嶋さんの名言は今も多くの野球ファンにとって特別な意味を持っています。
野球だけでなく、人生そのものを支える力となったという人も少なくありません。
長嶋茂雄 ミスターと呼ばれた理由
ON砲で巨人V9に貢献
王貞治さんとのコンビ「ON砲」は、巨人のV9時代を支えた最強の打線でした。
1965年から1973年まで9連覇という偉業は、今も破られていません。
王貞治との友情とライバル関係
- ホームラン王・王貞治
- 勝負強さの長嶋茂雄
というキャラクターの違いが絶妙なバランスを生み、互いに刺激し合いながら成長を遂げました。
プライベートでも親しい仲だったことで知られています。
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監督としても5度のリーグ優勝
選手としてだけでなく、監督としても巨人を5度のリーグ優勝、2度の日本一に導きました。
中でも「10・8決戦」での采配は伝説として語り継がれています。
長嶋茂雄の伝説は永遠に残る
長嶋茂雄さんは、ただの野球選手ではありませんでした。
技術も華もあり、誰よりも野球を愛し、ファンを大切にするその姿勢が、彼を「ミスター」たらしめたのです。
引退後も球場に足を運び、若手選手に声をかけ続けた長嶋さん。
晩年は病との闘いが続きましたが、東京五輪の聖火ランナーとして自力で歩いた姿は、日本中に勇気を与えました。
そのすべての姿が、まさに「伝説」。
長嶋茂雄さんの偉業と人柄は、これからも語り継がれていくことでしょう。
投稿者プロフィール

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元看護師です。
現在は在宅ワークにて、過酷な看護師生活に終止符を打ちました。
世の中のなぜなに?や、ホットな耳より情報をお届けしています。
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