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王貞治 凄さの理由5選!世界が認めた本塁打王

王貞治さんの名前を聞いて、真っ先に思い浮かぶのは868本塁打という前人未到の記録ではないでしょうか。

では、それだけが王さんのすごさでしょうか?

実は彼の凄さは、記録だけでは語り尽くせません。

2024年にはアメリカの雑誌『ニューズウィーク』が「歴代の日本人野球選手トップ10」を発表し、王貞治さんは大谷翔平選手に次ぐ堂々の2位に選ばれました。

野球を愛し、努力を惜しまなかった王さんの生き方は、今も世界中の人々に影響を与えています。

この記事では、「王貞治 凄さの理由5選」として、その偉業と人柄を5つに分けて解説します。

数字で見える実績だけでなく、彼の言葉や振る舞いの中にある「真のすごさ」にも触れていきます。

世代を超えて語り継がれる「世界の王」の魅力を、一緒に探っていきましょう。

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王貞治の凄さ 本塁打数が世界一

868本塁打は今も破られていない

王貞治さんが現役時代に打ち立てた通算868本塁打という記録は、世界でも前例のないものです。

メジャーリーグのハンク・アーロン選手ですら755本。

王さんの記録はそれを大きく上回っています。

しかもこの記録は、1度も海外リーグに挑戦せず、日本の球場だけで築き上げたもの。

球場が狭いという声もありましたが、それを差し引いても、この数字は圧倒的です。

13年連続ホームラン王の記録

王さんは、13年連続でホームラン王に輝いています。

これは「たまたま」では達成できません。

年間を通じて体調を整え、常に高い集中力を保ち続けた証拠です。

  • 1962年から1974年まで13年連続
  • 通算15回のホームラン王に輝く
  • チームの4番として責任を果たし続けた

どの数字を見ても、彼が「ホームランを打つこと」に特化し、成果を出し続けた選手であることがわかります。

王さん独自の一本足打法が話題に

王さんの代名詞とも言える「一本足打法」は、それまでの常識を覆すものでした。

両足をしっかり地面に着けて構えるのが普通の時代に、あえて片足を高く上げてタイミングを取るこの打法は、最初こそ批判も受けました。

しかし、自らの体格やリズムに合ったこのフォームは、後に多くのプロ野球選手が取り入れるなど、革新的なものでした。

結果として、多くの本塁打につながったのです。

王貞治の凄さは日米で通じた実力

大リーグ相手にもホームラン連発 王さんのすごさは、日本国内だけにとどまりません。

親善試合などで来日したメジャーリーグの投手たちからも、しっかりホームランを打っています。

  • 1966年:ドジャース戦で18試合中5本塁打
  • 1968年:カージナルス戦で16試合中6本塁打
  • 1970年:ジャイアンツ戦では1試合2本塁打後に敬遠される

このように、世界トップレベルの投手相手でも結果を出していたことから、王さんの打撃は「本物」だと分かります。

OPS0.937は超一流の証し

野球の成績を数値で表す「OPS」(出塁率+長打率)という指標があります。

この数値が0.800を超えれば一流、0.900を超えると超一流とされています。

王さんの通算OPSはなんと0.937

これはメジャーでもトップクラスの成績に匹敵します。

守備や走塁よりも、バッターとしての評価が高かった王さんにとって、この数値はまさに「証明」と言えるでしょう。

アーロンも「メジャーでも通用」と絶賛

アメリカの本塁打王ハンク・アーロンさんは、来日した際に王さんとホームラン競争を行いました。

その結果は10対9でアーロンさんが勝利しましたが、試合後にこう語りました。

「サダハル・オーはメジャーでも十分に通用する」

この言葉は、メジャーの名選手からの最大級の敬意です。

日本の野球選手に対する評価を一変させた瞬間でもありました。

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王貞治の凄さは努力と継続の力

現役22年の間に15度の本塁打王

王さんは1959年にプロ入りしてから1980年まで、22年間の現役生活を続けました。

その間、15回もホームラン王に輝いています。

ケガもあった中で、これだけの長期間にわたって第一線で活躍できたのは、体のケアと継続的な努力の賜物です。

決して派手さだけではなく、地道な準備が王さんのすごさの根本にあります。

毎日欠かさず素振りを続けた習慣

有名なのは「素振り1,000回」のエピソードです。

王さんは新人時代から毎日、誰よりも早く球場に来て、誰よりも遅くまでバットを振っていたと言われています。

  • 毎日素振りを1,000回以上続ける
  • 雨の日も、自宅の廊下で黙々と素振り
  • 自分との約束を破らず続けた

この日々の積み重ねこそが、王さんの本当の強さです。

怪我を乗り越えて記録を更新

王さんも常に順風満帆だったわけではありません。

怪我で長期間離脱することもありました。

しかし、焦らずリハビリに専念し、完全復活を遂げて本塁打を打ち続けました。

困難を乗り越えながら、記録を「積み重ねる力」こそ、王さんが「記録の人」ではなく「心を打つ選手」として語られる理由です。

王貞治の凄さは人柄とチーム愛

巨人とソフトバンクで通算60年超

王さんは、選手・コーチ・監督・会長と立場を変えながら、60年以上にわたり野球に関わってきました。

  • 巨人で選手生活22年、監督・助監督で計8年
  • ソフトバンクでは1995年から監督・会長を歴任
  • 現在も球団会長として現場に関わる

その存在感は、野球界の「精神的支柱」と言えるでしょう。

若手への指導も真剣そのもの

王さんは、自身が偉業を成し遂げた後も、若手への指導を惜しみませんでした。

フォームの細かいクセや、メンタル面での不安にまで目を配り、選手の「その先」を見て指導したと言われています。

中田翔選手や柳田悠岐選手など、王さんから直接学んだ選手は数多く存在します。

敵味方問わずリスペクトされる存在

王さんは、自分のチームだけでなく、相手チームの選手からも敬意を集めてきました。

その姿勢は礼儀正しく、試合中も決して相手を見下すことがなかったからです。

  • 礼儀正しく、謙虚な態度
  • 勝敗にこだわりつつも、相手への敬意を忘れない
  • 試合後の言葉にも思いやりがある

こうした人柄が、王さんの「記録」以上の魅力となっているのです。

王貞治の凄さは世界も認めている

米誌で歴代日本人2位に選出

2024年にアメリカの雑誌『ニューズウィーク』が発表した「野球史上最高の日本人選手10人」で、王さんは堂々の2位にランクインしました。

1位はドジャースの大谷翔平選手、3位はイチローさんでした。

王さんは海外経験がないにも関わらず、大谷選手やイチロー選手と並ぶ評価を得ています。

アメリカスポーツ誌の表紙も日本人初

1977年、王さんはアメリカの雑誌『スポーツイラストレーテッド』の表紙を飾りました。

これは、日本人野球選手としては初の快挙でした。

  • 海外メディアからも注目されていた
  • 日本の野球文化を世界に広めた
  • 「世界の王」と呼ばれるきっかけとなった

世界中の野球ファンから尊敬の声

SNSやインタビュー記事では、

  • 「王のような選手はいない」
  • 「子どもの頃のヒーローだった」
  • 「あの一本足打法は真似した」

といった声が世界中から寄せられています。

記録や賞だけではなく、心を動かす存在であることが、王さんの「本当の凄さ」だといえるでしょう。

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王貞治の凄さはこれからも語り継がれる

王貞治さんは、ただの「記録の人」ではありません。

通算868本塁打という実績だけでなく、

  • 努力を惜しまない姿勢
  • 礼儀正しく真剣な人柄
  • 野球に対する深い愛情

これらすべてが合わさって、「世界の王」として今も語り継がれています。

年齢を重ねた今でも若手に寄り添い、野球界全体を見守るその姿は、多くの人にとって希望の光です。

これからも、王さんの凄さは新たな世代へと引き継がれていくことでしょう。

投稿者プロフィール

ベビーカステラ
元看護師です。
現在は在宅ワークにて、過酷な看護師生活に終止符を打ちました。
世の中のなぜなに?や、ホットな耳より情報をお届けしています。

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